アリソン・クラウスへ〜計り知れない敬意と賞賛を込めて〜という言葉で始まる、トニー・ライスの伝記が発刊された。全325ページ、7年の歳月をかけて完成されたという、まさに「丸ごと一冊トニー・ライス」、大著である。著者はフリーランスのライター、キャロライン・ライトとブルー・ハイウェイのギタリスト、ティム・スタフォード。全7章で構成されており、第一章から第5章まではトニーが生まれてから現在までの足跡、第6章は「トニー・ライス・オフステージ」として、彼の趣味やファッション、食べ物、習慣、ペット、レコード・コレクション、オーディオの機種等々、第7章は彼のギターとテクニックについて詳細に書かれている。各章は、前半がトニー自身の言葉による彼のストーリー、後半には合計100人を超えるトニーの家族・友人・ファンのインタビューにより、トニーとの想い出や、トニーが彼らの音楽に与えたインパクトが熱く語られている。サム・ブッシュ、デヴィッド・グリスマン、アリソン・クラウス、J.D.クロウ、リッキー・スキャッグス、ジェリー・ダグラス、ベラ・フレック、エミルー・ハリス、ピーター・ローワン、トッド・フィリップス、サブロウ・ワタナベ、マイク・ロングワース、リチャード・フーヴァー・・・トニーへの愛情を込めた膨大なメッセージが溢れている。

巻末には約300人の登場人物(トニーのペットを含む)の紹介、293のディスコグラフィーで締められている。まさに圧巻である。

この本について、内容そのものについては是非、実際に手にとってお読み頂きたいと思うが、その一部について、特に私が関心を持っている、彼のマーティン・ギターについて、この本を読んで私が感じたことを少し書かせて頂こうと思う。

 

トニー・ライスについて
 トニー・ライスについてはすでにご存じの方も多いと思うが、簡単に紹介させて頂きたい。

トニー・ライスは195168日にヴァージニア州に生まれ、父親ハーブ・ライスの影響でブルーグラス・ギターを始めた。1960年、トニーが9歳の時、当時16歳のクラレンス・ホワイトと出会い、そのギター・プレイに衝撃を受け、ギターにのめり込んでゆくこととなった。クラレンス・ホワイトの弾く1935年製マーティンD-28も、トニーの憧れであった。その後、1970年にサム・ブッシュ等と「ブルーグラス・アライアンス」を結成、1971年にはJ.D.クロウ&ニュー・サウスに参加し、1975年に録音したアルバム「J.D.クロウとニュー・サウス」はベスト・セラーとなった。その間、1973年に初めてのソロ・アルバムを渡辺三郎氏のレッド・クレイ・レコードでニュー・サウスのメンバーとともに録音し、翌1974年に”got me a martin guitar”としてリリースした。そう、トニー・ライスは日本のレーベルからソロ・デビューを果たしたのである。トニーのギター・プレイは、クラレンス・ホワイトの影響を受けながらも、シンコペイトした彼独自のフレーズ、バンド全体にグルーヴ感を生み出すリズム、そして美しい音色で、ブルーグラス・ギターの新たな世界を広げていった。また、トニーのヴォーカルは、ストレートでありながら繊細な歌い回しも併せ持った、とてもクールなものであった。
 1975年の日本公演を最後にトニーはニュー・サウスを抜け、デヴィッド・グリスマンと新しいアコースティック音楽「ドーグ・ミュージック」を作り上げた。デヴィッド・グリスマン・クインテットは1976年に日本で衝撃的なデビューを飾った。当時私は高校生で、まだトニー・ライスのことを知らず、この2つのコンサートを見ることができなかった。今でもとても残念である。1979年には自身のバンド「トニー・ライス・ユニット」を結成し、より深く自分のスタイルを追い求めて行く。ブルーグラス・セット(トニーはスペース・グラスと言っている)の「マンザニータ」、ジャズ・セット(トニーはニュー・アコースティック・ミュージックと呼んでいる)の「マー・ウェスト」この本のタイトルにもなっている「スティル・インサイド」等をリリースしている。並行してJ.D.クロウ(バンジョー)、ドイル・ローソン(マンドリン)、トッド・フィリップス(ベース)、ボビー・ヒックス(フィドル)、ヴァッサー・クレメンツ(フィドル)、ジェリー・ダグラス(ドブロ・ギター)のオール・スター・キャストで「ブルーグラス・アルバム・バンド」として1981年から1996年に6枚のアルバムをレコーディングし、古いブルーグラスのスタンダードナンバーを題材に最高の歌と演奏を聞かせてくれる。この「ブルーグラス・アルバム」は色々な評価があるが、私は、バンドとして古いブルーグラスの名曲に真っ向から取り組み、その中でトニーのブルーグラスへの熱い思いを昇華させた、最高のレコーディングではないかと思っている。トニーは1980年代の後半から徐々に喉の具合が悪くなり、現在では全く歌うことができなくなってしまったが、トニーのヴォーカルが堪能できる、Vol.4までは特に素晴らしいと思う。私は、1979年の「マンザニータ」以降、トニーが数年間ブルーグラスから遠ざかって(しまって)いたと思っていたので、この「ブルーグラス・アルバム」の1曲目の”Blue Ridge Cabin Home”のトニーの歌とギターを聞いて感激したことを覚えている。
 トニーは現在、トニー・ライス・ユニットとしての活動の他に、ピーター・ローワン、アリソン・クラウス、マウンテン・ハートとの演奏も行っている。
 私は、トニーのヴォーカルの歌い回しを最もコピーしているブルーグラス・ミュージシャンはアリソン・クラウスではないかと思っている。
 またトニーは昨年までIBMAの年間最優秀ギター・プレイヤー賞を過去6回受賞しており、全ての受賞者の中でも最多である。
 トニーは今日まで、数々の名演奏を残し、その独自のギター・スタイルにより多くのフォロワーを生み出し続けており、私にとっても最高のブルーグラス・ヴォーカリスト・ギタリストであり続けている。

 

マーティン・ギターへの思い

 The Tony Rice Storyの1つの特徴と感じるのが、

トニー本人と、インタビューされた言葉が、とても率直、歯に衣着せぬコメントであるということである。「サブロウ・ワタナベ」氏もそのようなコメントをトニーに寄せている。この「率直な言葉」達の中で私が一番関心を持ったのは、トニー自身の「マーティンは1955年以来まともなギターを作っていないから、今は人々はマーティン以外のギターを使っているよ」という言葉である。かなり過激な発言であるし、私は1955年以降に作られた、素晴らしい音色だと思う多くのマーティン・ギターを知っている。これはあくまでトニーの意見と、割り切って読み飛ばしてしまえば良いのかもしれない。しかし私は、1955年以降のマーティンが良いか悪いかではなく、何故トニーが「1955年」と特定したのかに興味を持った。何か特別な意味があるのかもしれないと。
 これから、トニーと、彼のマーティン・ギターについて、この本の内容を少し紹介しながら感想を述べ、考察を加えてみようと思う。
 トニーのメイン・ギターは、クラレンス・ホワイトが所有していた1935年製マーティンD-28である。トニーは197536日に、クラレンスからこのギターを譲り受けていたジョー・ミラーという、リカーショップの経営者の息子から550ドルで購入し、ネックのリセット、ブリッジ交換等のリペアを施した。それ以降、このギターはトニーとともに数々の名演奏を生み出し、彼のトレード・マークとなっている。またトニーはサンタ・クルーズ・ギター・カンパニーと契約し、自身のアドバイスにより、トニー・ライスの名を冠した「サンタ・クルーズ・トニー・ライス・モデル」を世に送り出している。トニーは一時1935年製D-28がとても古いギターなのであまり持ち出すことをせず、サンタ・クルーズを使う機会が多くなった。しかし最近は再び多くのステージでD-28を使用している。彼の言葉で言えば、彼のD-28は「私の一部」だからという。私も、サンタ・クルーズ・ギターの良し悪しに関係無く、トニーと彼のD-28は切っても切れない関係となってしまったのだと思う。トニーは彼の、シリアルナンバー589571935年製マーティンD-28のことを愛着を込めて「アンティーク」と呼んでいる。

 

アンティークとの出会い
 トニーが初めて「アンティーク」に出会ったのは、1960年、彼が9歳の時、クラレンス・ホワイトに出会ったその日であった。トニーはその時、父親に買ってもらったD-18を弾いていた。その時までトニーは、マーティン・ギターは全てD-18だと信じていたという。トニーが初めて見たD-28が「アンティーク」だったというわけである。トニーにとっての憧れのD-28はヘッドストックにロゴのない、サウンドホールの大きい、指板の長いD-28だったのである。このときの感激が15年の時を経て、再びトニーと「アンティーク」を結びつける力となったのであろう。
 トニーは自分の1959年〜1960年製D-18を気に入っておらず、父親から1957年製D-28を買ってもらった。トニーはこのギターについて、「1950年代後半のマーティンにしては例外的に良いギターだった」とコメントしている。「1950年代後半(以降)のマーティンには殆ど良いものはない」という見解について、マーティン・ドレッドノート・ギターの「ルール」とまで言い切っているところが興味深い。ところでこのD-28、インタビューのページでサム・ブッシュが、「トニーはこの1957年製D-28をクラレンスのD-28のように、ラージ・サウンドホール、長く、バインディング付きでポジションマーク無しの指板に改造していた」とコメントしている。ボビー・アトキンス、フランク・ポインデクスターとの”1968 SESSION”というアルバムのジャケットに写っている(裏焼きの!)ギターがそれで、ピックガード、ヘッドストックの形状から、多分間違いない。トニーのクラレンス・フリークぶりが伺える。今日、「アンティーク」のレプリカとしてサウンドホールが拡げられた、もしくはあらかじめ大きなサウンドホールを持ったギターは世界中に数知れず存在するが、一番はじめに「アンティーク」のようにD-28のサウンドホールを拡げたのはトニーかもしれない。7年後に「本物」を入手することになるのだが、そのときのトニーの喜びは計り知れないものであったのだろう。




 トニーは次にハイロ・ブラウンが所有していた大きなピックガードを持つ1948年製D-28を入手する。やっとお気に入りのギターに巡り会えたようで、「アンティーク」と再会するまで、ずっとこのギターと一緒に演奏活動を行った。前記アルバム”got me a martin guitar”「J.D.クロウとニュー・サウス」その後にリリースされた「カリフォルニア・オータム」は主にこのギターを使って録音された。

そして1975年についに彼の一生の友(いや彼の一部)となるべき「アンティーク」を手にすることができ、トニーのギター探しの旅は終わりを告げるのである。「アンティーク」で初めて録音されたトニーのアルバムは3枚目のソロ・アルバム「トニー・ライス」である。

 

なぜ1955年?
 「マーティンは1955年以来まともなギターを作っていない」というトニーのコメントについて、何故「1955年」なのか、”The Tony Rice Story”ではその理由は語られていないようである。そこで、私なりに解釈と推測を加えてみようと思う。少し細かい話しになる・・・。

そもそも1955年にマーティンD-28に何らかの変化があったのだろうか。私は”No”と思う。この年には音に関係する仕様変更は行われていないはずである。1950年代に行われた、D-28の音の変化に関係するトピックス大きく3つある。一つは表板の材質。D-281946年に、表板に使う木材をアディロンダック・スプルースからシトカ・スプルースに変更した。しかしそれ以降、50年代、60年代のD-28にまれにアディロンダック・スプルースが使用されている。二つめは表板の裏に接着されているブレイシング(補強用の力木)接着面のカーブの形状の変更である。マーティン・ギターの構造について詳しい、シーガル・ギターを主宰する塩崎雅亮氏の検証によると、1957年あたりから、表板のブレイシングの接着面のカーブの形状が変化している。もう一つは、同じく1957年頃にXブレイシング(表板のブレイシングのうち、長い2本の木が交差しているもの)の交差位置が変更されている。以前はサウンドホールの端から約46ミリで交差していたが、1957年頃に約38ミリに変更になっている。Xブレイシング全体がネック側に約8ミリ移動したことになる。この変化によって音への影響があるとの見解である。この三つのことのうち、表板の材質の使い分けについてはあくまでイレギュラーなことであり、「ルール」ではない。そうすると、トニーの言う1950年代後半のマーティン・ドレッドノート・ギターの変化は、1957年頃の表板ブレイシングにおける接着面のカーブの形状変更とXブレイシングの位置変更によるものではないだろうか。父親に買ってもらった1957年製D-28は「例外」ではなく、トニーが良いと思っている1950年代前半の仕様であったのではないかと考えられる。
 では、トニーは何故「1957年」ではなく「1955年」とコメントしたのであろうか。これは全く私の憶測であるが、トニーが尊敬するグルーグラス・ギタリストであるデル・マコーリーへの想いが関係しているのではないかと思う。トニーは「1950年代後半のD-28」について、音の変化を感じていた。その境目の年を特定することまではできなかったが、デル・マコーリーが長年使用していたD-28、トニーが影響を受けたリズム・ギターの音を生み出したD-281954年製であったことから、その次の年「1955年」とコメントしたのではないだろうか。

 

おわりに
 来年に還暦を迎えるトニー・ライスは、まだまだ現役で活躍している。4月末から5月頭にかけてノースカロライナ州で行われたマール・フェスでも、トニー・ライス・ユニットやピーター・ローワンとのステージで素晴らしい演奏を繰り広げている。1ファンとして嬉しい限りであるが、トニーが現役で活躍している今、この本が出版されたことは、とても大きな意義があると思う。この本を読み、今まで知らなかったトニー・ライスの想いや姿勢を(少しでも)理解することで、今のトニー・ライス、これからのトニー・ライスをもっと身近に見、聴き、感じることができるようになるのだと思う。私にとってはもう一つ、「1955年説」をいつかトニーに直接聞いてみよう、というささやかな夢もできた。いずれにしても、”STILL INSIDE  The Tony Rice Story”トニー・ライスのファンのみならず、ブルーグラス音楽を愛する皆様にとって、きっと一読の価値のある本であると思う。

追伸

 2013年12月の情報では、トニー・ライスさんが1年ほど前から関節炎の悪化のためギターを弾ける状態でなくなり、コンサートのキャンセル&近年のフリーダウンロードによって印税収入も減り、生活に困窮しているとの事。友人達の勧めでトニー・ライス基金を設立し寄付を募っているとのことです。

一日も早く体調が良くなることをお祈りしています。

  トニー・ライスとD−28

トニー・ライスのマーティン・ギター、D−28への思いが、
 彼の伝記本「STILL INSIDE, The Tony Rice Story」に綴られています。
 私がブルーグラス誌「Moon Shiner」2010年6月号への寄稿に加筆したものを
 ご紹介します。

              

  























































































































































































     

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